ココ・シャネルに学ぶ人生観

皆様、おはようございます。
太陽光のピンク社長です。

ガブリエル・シャネルの展覧会が三菱一号館美術館にて開催中です。

ファッション革命を成し遂げた
シャネルのパワフルで挑戦し続ける生き方、
名言はいつもわたしを叱咤激励してくれます。

ココ・シャネルの名言を紹介します。

「失敗しなくちゃ、成功はしないわよ」
「かけがえのない人間になるためには、常に他人と違っていなければならない」
「実際にどう生きたかということは大した問題ではないのです。
大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。
なぜって、夢はその人が死んだ後もいき続けるのですから。
- ココ・シャネル –

20世紀初頭からその死に至るまで
世界のファッションスタイルに大きな影響を与えたココ・シャネル(1883~1971)。

ココ・シャネル(本名はガブリエル・シャネル)は
フランス南西部のソミュールで生まれます。

シャネルが12歳のときに母が病死。

シャネルは聖母マリア聖心会が運営する孤児院に預けらます。
孤児院での生活は厳しく質素なものであったが、シャネルはそこで裁縫を学び、後に生かします。

8歳で孤児院を出た後、シャネルは仕立て屋での職を見つけ、
副業としてキャバレーで歌うようになります。

「ココ」という愛称は、当時歌っていた曲名にちなんだものといわれています。

その後、シャネルは歌手を目指して何度かオーディションを受けるも、
歌唱力の評価は低く、芸能界への道をあきらめます。

1910年、27歳のシャネルはパリで最もファッショナブルな地区にブティック「シャネル・モード」を開店、
彼女の制作した帽子を販売し、洋服を販売、1921年にはシャネル初の香水「No.5」「No.22」を発表。

1939年、大企業として成長した「シャネル」であったが、
第二次世界大戦が始まると一部店舗を残しすべてのビジネスを閉鎖。

1940年、シャネルが56歳のときにフランスがドイツ軍に占領。

シャネルはパリ駐在のドイツ外交官・諜報員と愛人関係にあり、戦時中、
シャネルはドイツの諜報活動に関与してとも。

戦後、シャネルはナチスの諜報活動に協力したことで犯罪者として告訴されるのを
避けるためスイスに亡命。

1954年、70歳を過ぎたシャネルはスイスでの亡命生活を終えパリに戻り、新作ドレスを発表。

ファッション界への復帰を果たす。

ヨーロッパではバッシングを受けたが、女性の社会進出がめざましかった米国で
シャネルのコレクションは熱狂的に受け入れられ、ジャクリーン・ケネディなど著名人が愛用。

以降、シャネルはその死に至るまでファッション界に君臨。
1971年1月10日、ココ・シャネルは死去、87年の生涯を閉じました。

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