「ねばらない」の鎖を取り外せ
おはようございます、ピンク社長です。
ペン誌に私のエッセイが掲載されました。
お読み頂けたら、嬉しいです。
✨✨✨
「ねばならないの鎖を取り外せ」
今年の夏も、外務省後援「子ども世界平和サミット」を開催させて頂く事が出来た。
たくさんの方々の応援に、心から感謝しかない。
2025年には大阪・関西万博にて
世界100か国一億人の子ども達が参加する
「子ども世界平和サミット」の開催を目指している。
この活動の始まりは、13歳の夏、アメリカ滞在中に起こった。
ヒロシマという場所は地名だけではなく、
世界では違う意味を持って使われている事を知った。
ディズニーランドで、
世界各国の民族衣装を着た子ども達が笑顔で
歌を歌っているイッツ・ア・スモールワールドというアトラクションを体験した時、
世界平和に貢献したいという想いを稲妻のように授かった。
とはいっても、人類が探求し続けてきた最大の課題である
世界平和実現に13歳の私がどんな事ができるのか、
何をどう取り組んでいいのかは、全く考えも及ばなかった。
しかし、「思考は現実化する」の言葉通り、
一度脳に質問をすると、意識するしないにかかわらず、
脳はずっと答えを探し続けてくれたようだ。
15歳の時、学校で募集していた平和教育の
ボランティアに志願し、わたしは第一歩を歩みだした。
被爆の現状や平和公園内に建てられた記念碑の歴史を
修学旅行生に伝える活動を続ける中で、
「被爆継承は平和教育なのか?」と私の中で大きな疑問が芽生え始めた。
平和を創る事を考え、話し合う平和教育があったらどうだろうか?
そんな想いが沸き上がってきた。
13歳の訪米での体験を通じて、
私は「ねばならない」の鎖を少しづつ取り払いはらう事が出来るようになった。
女性だから、お金がないからという思い込みの鎖を取り払うと決め、
活動の為に時間と資金が必要だとの想いから、18歳で起業し、事業を始めた。
「ねばならない」の鎖を外すと、いろんな挑戦も怖くない。
たった一つの言葉がわたしの人生を変えた。
世界最大の折り鶴でギネス記録チャレンジや、
広島オリンピック招致活動、
新しい平和教育の教科書「キセキのヒロシマ」出版なども
「ねばならない」の鎖があったら挑戦できなかった。
人生の折り返し地点を迎え、「ねばならない」の鎖を
外し続け豊かな人生を歩んでいきたい。
多田多延子