曽祖母から学んだ平和への想い

みなさま、こんにちは。

ピンク社長こと多田多延子です。

あさってヒロシマでは、72回目の平和式典が開催されます。

わたしの祖母は、8月6日原爆投下により23歳で亡くなりました。

わたくしにとっては、祖母の命日でもございます。

 

今から2年前、戦後70年の年に漫画「キセキのヒロシマ」を

原作し、自費出版致しました。

「戦後70年」を特別意識していたわけではないのですが、

お蔭さまで節目の年での出版となり、様々なメディアで取り上げて頂きました。

 

この漫画の起源は、いまから72年前、

原爆投下約1.5キロ地点(横川)だったにもかかわらず、

当時五歳だった母が奇跡的に生かされていたことから始まります。

 

私の母は、原爆で母を、戦争で父を失い、当時56歳の曾祖母が育ててくれました。

曾祖母は地域の方々にお風呂を使っていただきたいとの想いから、

焼け野原から地域で最初に家を建築し、お風呂を作りました。


原爆で家や財産を失いましたが、

曾祖母は女手一つで母と叔父を育てただけではなく、

常に地域に貢献する生き方をした人でした。

曾祖母の生き方から、

「戦争で家や財産を失っても、能力があれば大切な人たちを助けることが出来るんだ!」

と子供ながらに起業家としての生き方に魅力を感じました。

私が起業家を志したのは、まさに曾祖母の影響です。

 

私が5歳の時に、曾祖母は85歳で亡くなりましたが、

曾祖母から社会に貢献する事の大切さを学びました。

私の人生の師として、今なお私の心の中で生き続けています。

 

私が広島女学院高校在学中に、碑巡りボランティア活動をしていた時の事です。

広島の被爆の現状、核兵器の恐ろしさを伝えるだけでなく、

75年草木も生えないと言われた広島がどのように復興したのか、

女性達がどんな想いで復興を支えたのかも是非伝えたいと思いました。

そして、曾祖母や母の実話を基に原作したのが「キセキのヒロシマ」です。

昨年3月、英語版「ヒロシマミラクル」が完成し、

ケネディ元駐日米国大使に英語版を贈呈しました。

オバマ大統領への贈呈を依頼したところ、お渡しくださり、

大統領在任期間中にお礼状を賜りました。

これをきっかけにたくさんの方がお読みくださり、「子供たちにも読ませたい」と

ご要望頂いたことから、教育機関向けに千冊の無料貸出を開始させて頂きました。

児童達から「戦争は止めるのではなく、始めない事だ」

「ヒロシマの復興から前を向いて生きていく大切さを学んだ」等の感想文を頂きました。

 

児童達が人生の岐路に遭遇した時に、

「キセキのヒロシマ」が平和への道しるべとなることを願って活動しています。

 

広島に修学旅行に来られる先生へ

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