大富豪から学ぶ★レイ・クロックの人生観

みなさま、こんにちは。

広島をこよなく愛する

ピンク社長こと多田たえこです。

レイ・クロック(Ray Krocこと

成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PR…/レイ・A. クロック

レイモンド・アルバート・クロックは、

アメリカ合衆国の実業家で、

マクドナルドコーポレーションの創業者です。

マクドナルドをフランチャイズ展開し、

世界最大

ファーストフードチェーンに仕立て上げたました。

レイ・クロックの人生観をご紹介します。

チェコ系の両親のもと、

イリノイ州シカゴ西郊のオークパークに生まれる。

高校中退後、

第一次世界大戦中に1

5歳で救急車ドライバーの訓練を受け、

終戦後はピアニスト

紙コップのセールスマン

ジャズ演奏家、

バンドメンバーなど職を転々とする。

1941年には、

5種類のミルクセーキを

同時に作る機械「マルチミキサー」の

独占販売者となり、国中を旅してまわった。

1954年、カリフォルニア州サンバーナーディーノで

1940年に最初のマクドナルドを開いた

マクドナルド兄弟と出会う。

交渉してフランチャイズ権を獲得、

1955年4月にイリノイ州デスプレーンズに

最初のフランチャイズ店を出店した。

1955年3月、52歳の時に

マクドナルドシステム会社を設立

1961年にはマクドナルド兄弟から

商権を270万ドルで買収。

1965年に株式公開、

1984年までには世界34か国で8300店舗を開いた。

生涯で5億ドルの富を築き、

『タイム』誌の「Time 100」にも選出された。

ひらめき電球わたくしの心に響いた名言ですひらめき電球

私はビジネスに身体を酷使し、


糖尿病と関節炎を患い、


胆のうのすべてと、


甲状腺の大半を失っていた。


だが、生涯で最高のビジネス


私の行く先に待ち受けていると


信じて疑わなかった

               レイ・クロック

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