ナイチンゲールから学んだ「常に心掛けている起業家としての行動指針」

みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田多延子です。

わたくしは、10歳の時に
交通事故で脳内出血し
生死をさまよいました。
奇跡的に生還した経験から
「社会に役立つ起業家」を目指し、
まず小学校の図書館にある
偉人伝を読み漁りました。

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その時から偉人たちの名言は
わたくしの恩師であり、
いつも人生の道しるべとなりました。

起業家を志す時に心に刻んだ
フローレンス・ナイチンゲール
名言をご紹介致します。

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もっとも上手に人をおさめるのは、
自分の責任下にある人々を
愚かに甘やかすのではなく、
その人のためになること、
その人にとって最高の利益になることを、
親身になって考える人です。

あなた方は進歩し続けない限りは
退歩していることになるのです。
目的を高く掲げなさい。

物事を始めるチャンスを、
私は逃さない。
たとえマスタードの種のように
小さな始まりでも、
芽を出し、根を張ることがいくらでもある。

フローレンス・ナイチンゲールとは

1820年、裕福なジェントリ(地主貴族層)の家庭に生まれる。
幼少期は、外国語、ギリシア哲学、数学、天文学、経済学、
歴史、美術、音楽、絵画、心理学、詩などの教育を受ける。

しかし、慈善訪問の際に貧しい農民の悲惨な生活を
目の当たりにし、人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになる。

1851年、精神を病んだ姉の看護をするという口実で
ドイツの病院付学園施設に滞在。
その後、看護師を志してロンドンの病院に就職。
父は就職に理解を示したが、母、姉は反対であった。

婦人病院長となったナイチンゲールは各地の病院の状況を調べ、
専門的教育を施した看護師の必要性を訴える。
当時、看護師は、病人の世話をする単なる召使として見られていた。

1854年にクリミア戦争が勃発。
負傷兵の扱いが悲惨な状況にあり、戦時大臣はナイチンゲールに
戦地への従軍を依頼。
ナイチンゲールはシスター、職業看護師の女性を率いて
後方基地にある病院へ赴任。
看護師の総責任者として活躍する。
その働きぶりから「クリミアの天使」、
夜回りを欠かさなかったことから「ランプの貴婦人」と呼ばれる。

ナイチンゲールの尽力により、病院内を衛生的に保つことが命令され、
42%まで跳ね上がっていた兵舎病院での死亡率は5%まで低下する。
死因のほとんどは、病院内の不衛生による感染症であった。

1856年、クリミア戦争終結。
ナイチンゲールは国民的英雄として祭り上げられることを快く思わず、
偽名を使用して帰国。帰国後、病院の状況分析を開始。
数々の統計資料を作成し、改革を目的とした各種委員会に提出。
保健制度および陸軍全体の組織改革につながる。
英国では、ナイチンゲールは統計学の先駆者とも称されている。

陸軍・政府関係者もナイチンゲールの超人的な仕事ぶりと
相手が誰であろうと直言を厭わない果敢な姿勢に敬意を示した。

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