似島にて先人への感謝と平和への決意を新たに致しました
みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田多延子です。
ピンク社長こと多田多延子です。
本日、似島にて慰霊碑の清掃と
慰霊祭に参列させて頂きました。
似島は、広島市南区内にある島、つまり市内の島です。
似島には信号機はなく、バスもタクシーも走っていません。
宇品港からフェリーで約20分です。
似島の由来については、統一された正確な記録はありませんが、
現在の「富士山に似た山がある島」が統一視され
「似島」になったと伝えられています。
似島は、世界で初めて被爆した「ヒロシマ」が忘れてはならない
キズ跡と、さらに、戦争の加害者としての遺跡を残しています。
似島は日清戦争から太平洋戦争終結まで「軍の島」でした。
そして、広島市に原爆が投下された直後から、似島の検疫所には
約1万人の被爆者が運び込まれたと言われています。
約1万人の被爆者が運び込まれたと言われています。
しかし、多くの人が介護の甲斐もなく亡くなり、火葬又は
土葬され、中学校東よりの南風泊(まじどまり)一帯に
無縁仏(千人塚)となっていました。
土葬され、中学校東よりの南風泊(まじどまり)一帯に
無縁仏(千人塚)となっていました。
昭和22年、この辺りから約1,500人余の遺骨が発掘され
似島供養塔が建てられました。
こちらの慰霊碑は、これら原爆犠牲者のご冥福を祈って建立されました。
似島供養塔が建てられました。
こちらの慰霊碑は、これら原爆犠牲者のご冥福を祈って建立されました。
今の平和な日本の礎を築かれた先人たちへの
感謝と平和継承を誓いました。
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戦後70年、新しい平和継承の形
戦後70年から始まる「新しい平和継承の形」
女性たちから寄贈活動の輪が広がっています
広島市内全小・中・高校215校の図書館へ
寄贈実現★「キセキのヒロシマ~朝陽に映えて」
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