なぜ黒田博樹投手は年俸20億円より「広島愛」を選んだのか?
みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田多延子です。
昨日、米大リーグから8年ぶりに古巣広島に復帰した
黒田博樹投手(40=前ヤンキース)の入団会見
素敵でしたね。
「もがき苦しみながら、最後は
カープのユニホームで投げたい」と
決意を語った黒田博樹投手にカープファンは
テレビの前で感激の涙を流しました。
2014年12月27日に古巣の広島と
契約したことが球団から発表され、
年契約で年俸は推定4億円(プラス出来高)、
背番号は2007年まで着けていた15に決定した時に
海外での高額オファーを蹴って
日本国内の古巣・広島カープに
復帰するというニュースは、日本球界関係者のみならず
大リーグ関係者にも大きな反響がありました。
なぜ黒田博樹投手は年俸20億円より
広島愛を選んだのか
人物像をご紹介します。
黒田 博樹投手は、1975年2月10日大阪市出身。
1996年、ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団。
父は元プロ野球選手の黒田一博。
父・黒田一博が監督を務めたボーイズリーグのチーム・
オール住之江で活躍。上宮高から東都の専修大学へ進学。
上宮高では西浦克拓の控え投手だったが、
大学では力をつけエースに君臨。
大学生で初めて球速150km/hを計時したそうです。
両親をガンで失ったため、癌の研究や啓発を行う活動に
多額の寄付をしており、ロサンゼルスのメディアにも紹介されました。
父が肺ガンになった際は入院先の広島に足しげく通い、
メジャー挑戦を1年先延ばしにしたのは父の闘病を支えたい
気持ちが強かったというのも理由のひとつだったそうです。
座右の銘は、西郷隆盛が自らの甥市来政直に贈った
漢詩の一節『雪に耐えて梅花麗し』
FA移籍の情報が各スポーツ紙を賑わせている真っ只中、
ファンが動き、完成させたのが広島市民球場外野席に
突如現れた巨大横断幕。
それには多くのファンからのメッセージが記されていました。
そして大きな文字で
「我々は共に闘って来た 今までもこれからも…
未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら
君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」
更にシーズン最終登板試合には満員のファンが
黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げ、
後に「あのファンの気持ちは大きかった」とも語られています。
「今後も国内他球団の移籍はない」と明言し、
国内なら「生涯広島」を宣言し、その約束を守り
黒田博樹投手は年俸20億円より「広島愛」を選んだのです。
会見の最後にファンに向け
「8年ぶりに広島に帰ってきました。
どこまで出来るかわからないですけど、
勝ちたいという気持ちは何歳になっても変わらない。
そういう気持ちをマウンドで出していきたい」とコメントした
謙虚さや誠実さもファン愛された名投手らしいなと
しみじみ嬉しくなりました。
24年ぶりの優勝に向け、始動した広島カープ。
被爆70年の節目の年に、「復興」のシンボルとして
高く舞い上る日を願っています。
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