ゴッホがひまわりを描き続けた本当の理由
みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田たえこです。
今、広島県立美術館 では
オランダのクレラ=ミュラー美術館から
時価総額500億円以上の
20世紀最大のコレクションが来日しています。
もし、オークションに出展されれば
200億円は超えるといわれる
なぜ
ひまわりなのか
そんな疑問を持ち、調べてみました。
フィンセント・ファン・ゴッホは、
1853年3月30日、オランダ南部に生を受けました。
フィンセントという名は、
ドルス牧師の父で高名な牧師であった
フィンセント・ファン・ゴッホ
(1789年-1874年)からとられています。
伝道師になって労働者や貧しい人の間で
働きたいという希望を持っていたフィンセントは、
ストークス氏の寄宿学校での仕事を続けることなく、
組合教会のジョーンズ牧師の下で、
少年たちに聖書を教えたり貧民街で牧師の手伝いをしたりしていました。
聖職者になるには7年から8年もの勉強が必要であり、
無理だという父ドルス牧師の説得を受けても、
聖書の章句を英語やフランス語や
ドイツ語に翻訳して勉強を続けていました。
フィンセントは食卓で長い間祈り、
肉は口にせず、同居していた友人は、
「彼は日曜日にはオランダ改革派教会だけでなく
ヤンセン派教会、カトリック教会、
ルター派教会に行っていた」と語っている。
フィンセントは、ますます聖職者になりたい
という希望を募らせ受験勉強に耐えることを
約束して父を説得します。
しかし、複雑な文法や、代数、幾何、歴史、地理、
オランダ語文法など受験科目の多さに挫折し、
精神的に追い詰められたゴッホは、
パンしか口にしない、わざと屋外で夜を明かす、
杖で自分の背中を打つというような
自罰的行動に走ったとも言われています。
ゴッホはどうしても、聖職者になりたかったのですね。
ひまわりは、英語ではサンフラワーと呼ばれます。
だから、ゴッホは絶対に
ひまわりなんです。
彼の魂がこもった作品なので、こんなにも愛されているんですね。
私は、ゴッホが牧師さんになれなかったのは、
きっと神様の大愛だと思います。
黄色い太陽にこころを奪われる「種まく人」も来日していますので
是非、感動のコレクションをご覧くださいませ。
2014.1.2~2.16「印象派を越えて」
広島県立美術館 広島市中区上幟町2-22
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