オバマ大統領に伝えたい 60年前のヒロシマ・アメリカ友好の実話
みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田多延子です。
オバマ米大統領は、
主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)出席のため
5月下旬に日本を訪れる際に
被爆地・広島への訪問を前向きに
検討していると報道されています。
この機会に、全てのアメリカ人に伝えたい、
60年前のヒロシマ・アメリカ友好の実話があります。
「原爆乙女」の実話をご存知でしょうか。
「原爆乙女」とは、1945年に広島で被爆し、
顔や体にやけどを負った若い女性の総称です。
原爆乙女の渡米治療は米ジャーナリストの
ノーマン・カズンズ氏が提唱し、
1955年に日米の医師らが実施しました。
ニューヨークのマウント・サイナイ病院で
25人が整形外科治療を受けました。
随行者を含め35人を運んだのは米軍機でした。
入院・手術は、渡米治療提唱者のノーマン・カズンズ氏が
同じユダヤ系に働き掛け、マウント・サイナイ病院が
無償で引き受けました。
マウント・サイナイ病院は、ニューヨークでも
一、二の規模を誇る大病院でした。
そこに専用二室が用意されました。
「花の命は短かくて―原爆乙女の手記 (平和文庫)」や
「検証 ヒロシマ 1945~95 <6> 原
爆乙女」によると、被爆直後はずっと
アメリカ人を心底恨んでいた人もいたようです。
アメリカでの治療の間、一般家庭にホームステイされた
原爆乙女の方は、最初は言葉も全く分からず、
全てのアメリカン人を憎んでいたせいもあって、
毎日泣いて夜も眠れなかったそうですが、
ホストファミリーのお母さんの優しさや、
アメリカ人は個人主義のせいか日本人ほど
他人に同一性を求めないようで、
外出先でも好奇の目で見られることは比較的少なかったことを
受け、次第にアメリカ人への敵対心が薄れていったそうです。
オバマ大統領が広島訪問をされる際は、
広島とアメリカは60年前から
市民レベルでも友好的交流が
あった事実を知って頂きたいと願っています。
私、多田多延子(一般社団法人ピースピースプロジェクト代表理事)は
原爆乙女が幼稚園の先生でした。
そこで、広島に住む人でもほとんど語り継がれていない
原爆乙女の実話継承をしたいとの思いから、
2014年7月~2016年3月に
漫画「キセキのヒロシマ」(英語版「ヒロシマミラクル」)を
原作、自費出版しました。
この機会に全てのアメリカ人、日本人の方に知って頂きたい
本当の話です。
一般社団法人ピースピースプロジェクト
代表理事 多田多延子
広島市南区出汐1-17-25-2F
TEL(082)253-0528 (平日9:30~18:30)
FAX(082)253-0548
HP: http://ppp.holy.jp/
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