元祖ハンサムウーマン★新島八重から学ぶ「覚悟」

みなさま、こんにちは。

ピンク社長こと多田たえこです。

NHK大河ドラマ「八重の桜」も

いよいよ結びが近づいてまいりました。

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主人公の新島 八重は、

皇族以外の女性として


はじめて政府より受勲した人物です。

女性が、社会に出ること自体が

とても困難だった時代に

真正面から常に前進し続け、

自らの信念を貫いた女性です。

安倍政権にて女性登用が叫ばれる中、

女性が社会で活躍するための

覚悟キラキラを学ばせてくれる

新島八重さんの人生をご紹介いたします。

1845年12月1日生まれ。

江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本女性です。

同志社創立者の新島襄の妻としても有名ですね。

欧米流のレディファーストが身に付いていた襄と、

男勝りの性格だった八重は似合いの夫婦でした。

しかし夫をかしずかせ、

車にも夫より先に乗る姿を見た世間からは

「悪妻」「鵺」と評されましたが、

夫婦仲はとても良く、夫の襄はこの時期に

アメリカの友人への手紙で

彼女の生き方はハンサムなのです。」と書いています。

会津藩の砲術師範であった

山本権八・佐久夫妻の子として誕生し、

会津戦争時には断髪・男装して


家芸であった砲術をもって奉仕。

若松城籠城戦で自らもスペンサー銃と

刀を持って奮戦しました。

明治4年(1871年)、京都府顧問となっていた

実兄・山本覚馬を頼って上洛

翌年、兄の推薦により京都女紅場(後の府立第一高女)の

権舎長・教道試補となり、

この女紅場に茶道教授として勤務していたのが

裏千家13代千宗室(円能斎)の母で、

これがきっかけで茶道に親しむようになったそうです。

女紅場に勤務していたときの経験を生かし、

同志社の運営に助言を与え夫を支えました。

襄の死から間もない

明治23年(1890年)4月26日、

八重は日本赤十字社の正社員となり、

明治27年(1894年)の日清戦争では、

広島の陸軍予備病院で

4か月間篤志看護婦として従軍

40人の看護婦の取締役として、

怪我人の看護だけでなく、

看護婦の地位の向上にも努めました。

明治29年(1896年)、

その時の功績が認められ

勲七等宝冠章が授与

その後、篤志看護婦人会の

看護学修業証を得て看護学校の助教を務め、

明治37年(1904年)の日露戦争時には、

大阪の陸軍予備病院で2か月間

篤志看護婦として従軍し、

その功績によって勲六等宝冠章が授与されました。


明治27年(1894年)、女紅場時代に知りあった

千宗室(円能斎)に入門し、

円能斎直門の茶道家として

茶道教授の資格を取得。

茶名「新島宗竹」を授かり、

京都に女性向けの茶道教室を開いて自活し、

裏千家流を広めることに貢献した。

女紅場の講師に華道家元池坊の

当時の家元だった42世池坊専正がおり、

明治29年(1896年)に専正から

「池坊入門」の免状と席札]が交付されていることから、

華道の心得も習得していたことが伺われます。

八重を好演した、綾瀬はるかさんは広島出身

実在の八重さんも、広島での活躍が認められて

女性初の叙勲を受けられました。

嬉しい広島つながりでした。

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