なぜ、建国50年のシンガポールが繁栄し続けれるのか?

みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田多延子です。

今年シンガポールは建国50年を迎えました。
面積は、東京23区
人口は千葉県より少ない560万人の
小さな国です。
しかし、数年前には日本のGDPを抜き
アジア一位となり、いまなお繁栄を続けています。
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シンガポールを訪れるたびに、
長の理念がいかに重要な事なのかを
痛感いたします。
ゴール設定の大切さを再確認いたします。

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「会社の業績のすべての責任は、社長にある」
「社長の器次第で、業績はいくらでも伸びる」
という言葉通りです。

シンガポールの繁栄に導いた
偉大な建国の父 リー・クアンユー氏
経歴からご紹介致します。

1819年にシンガポールはイギリスの植民地となりました。
イギリス植民地時代に生まれたリー・クアンユー氏
その後、第二次世界大戦では
1942年から1945年の3年間、
日本の統治下にありました。

彼は日本軍に殺されそうになりながらも運よく
華僑虐殺から逃れ、生き延びました。

そのときから日本語の勉強を始め、父の友人のもとで
STIKFAS(スティックファス)という、タピオカを利用した
接着剤を売って生計を立てていました。
終戦後はイギリスのケンブリッジ大学で法律を学び、
卒業後はシンガポールで弁護士に。
その後、人民行動党(PAP)を結成して書記長に就任。
そしてイギリスに対してシンガポールの独立を要求しました。
1959年立法議会選挙51議席中43議席を獲得し、
見事勝利。
イギリス連邦内自治国の初代首相になりました。
シンガポールは1963年にマレーシアの一部となりましたが、
マレー系人種とシンガポール(華人)との対立が深く、
1965年8月にはマレーシアから分離独立。
独立国家としてのシンガポールが誕生したのです。

しかしその後、中国、マレーシア、インドからの
移民が集った社会の中で、天然資源や水源不足、
国防能力不足など、様々な問題に直面します。
そのような何もない「ゼロ」に近い状態から、
リー・クアンユー氏が様々なアイディアや方法で、
今のシンガポールを創り上げていったのです。

当時のシンガポールは小さな国であり、
周辺国を動かすような力はありませんでした。
「シンガポールが生き残るためには
どうすればいいのか」

を考えていたリー・クアンユー氏は、
周辺国との関係を大切にしていました。

独立国家としての国際的な認知を広めるために、
東南アジア諸国連合(ASEAN)の活動にも
積極的な姿勢を見せ、
周辺国との信頼を築き上げることに成功。

彼は国内の教育、住居、失業など様々な
問題の解決
にも取り組みました。
実際に1965年には14%だった失業率を
1975年には半分以下の6.5%まで
引き下げることに成功したのです。


現在のシンガポールは近代国家として繁栄を続けています。
リー・クアンユー氏は
「He was not just a man, he is Singapore.
(彼はただの男ではない、シンガポールそのものだ)」と
言われることもあるほど偉大な人物なのです。

そして、今、すべての国民が
シンガポーリアンとしての誇りと愛国心を持ち
成長し続けています。

「長」の理念が繁栄国家を創造した
シンガポールは、素晴らしいロールモデルとして
わたくし達起業家にとっても大きな学びと
決意を新たにする場所です。

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