たった一人の女性の「恕す心」が変えた日本の未来
みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田多延子です。
たった一人の女性が時空を超えて
日本の未来を変えた感動的なお話を
恩師からお聴きしましたので、ご紹介致します。
長文になりますが、ご覧頂けましたら嬉しいです。
第二次世界大戦後、GHQの海軍副長として、
アーレイ・バークという大将が派遣されてきました。
彼は、多くの戦友と親友を日本との戦争で失くしたせいで、
「日本人を1人でも多く殺せ」が口癖だったというほどに
日本を憎んでいたそうです。
日頃から公の場で日本人を
「ジャップ」「イエローモンキー」と差別的に呼び、
傍にも近づけないほどだったので、
宿泊先の『帝国ホテル』達にも一切のサービスを断り、
話し掛けると無視したり怒ったりしました。
そんな彼も、自らサービスを断った殺風景な部屋に寂しさを覚えたのか、
ある日、自分で一輪の花を買って来て、コップに差して置いたそうです。
その花が翌日、花瓶に生け替えられていました。
「余計なことをするな!」とフロントに怒鳴り込んだ大将に対し、
ホテル側は「ホテルとしては預かり知らないものの、
全従業員に厳重に注意する」と平謝りしました。
ところが、花は日を経るのに合わせて、
次々と新しいものに替えられていきます。
益々怒った大将が、ホテルに犯人探しを命じたところ、
1人の中年女性ルームサービス係りが自発的にしていたことが判りました。
問い詰められた彼女は
「ホテルの責任ではありません。
私が勝手に、お客様はお花がお好きなのだからと思い、
買っていたのです」と答えました。
みすぼらしい女給に、
ポケットマネーで買った花を与えられていたことを知った大将は、
プライドを傷付けられたのか、
「俺に構うな!」と怒り、
「これまでの花代の全額を払ってやる」と金額を問いましたが、
彼女は「お客様に喜んでいただくのが私たちの仕事です。
お金はいりません」と応じませんでした。
その毅然とした姿に関心を持ったのか、大将は彼女の身の上を訊きました。
「主人は、駆逐艦艦長でしたので、
先の大戦で米軍艦に撃沈され、艦と運命を共にしました」
驚いた大将が
「あなたのご主人の艦を沈めたのが私かもしれないのに、
なぜ、あなたは私に親切にするのだ!?」と重ねて訊くと、
「悪いのは戦争です。提督と夫が戦い、
提督が攻撃をしなかったら提督が戦死していたでしょう。
誰かが悪いわけではありません」
彼女の話がきっかけとなり、
バーク大将の日本人を見る目が変わっていきました。
「自国ではサービスにはチップを渡すのが当然の習慣なのに、
日本人は、他人の親切や真心を金銭に換算することはしない。
親切には親切で、真心には真心で返すのが日本人のやり方なのだ」
と悟り、大将自身が自分の考え方や行動を見つめ直すようになり、
日本人を理解するようになりました。
その後、すっかり日本人に敬愛を抱くようになった大将は、
親身になって、日本が占領状態から早く独立できるように尽力し、
海上自衛隊の創設に大きな力を発揮しました。
この功により、バーク大将は『勲一等旭日大綬章』を賜っています。
因みに、バーク大将はアメリカはもちろん、
各国から沢山の勲章を授与されていましたが、
彼自身の遺言により、葬儀で彼の遺体の胸に着けられていたのは、
“日本の旭日大綬章ただ1つ”だったそうです。
じーんとくるお話ですね。
恩師は、「『キセキのヒロシマ』の
『日本人の恕す心』の精神世界と完全一致した話だよね。」と、
この素敵なお話を私に教えてくださいました。
……そして、さらにこの話は
『トモダチ作戦』に繋がります。
『トモダチ作戦』とは、2011年(平成23年)3月11日
日本で発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震と
それを原因とする災害)に対して行う災害救助・救援および復興支援の事です。
東日本大震災の当日、
米韓合同軍事演習に参加するため、
原子力空母ロナルド・レーガンが航行中でしたが、
震災のあまりの甚大さに、
米国政府の許可が下りる前に、ロナルド・レーガンの艦長の独断で、
被災地の仙台沖へ日本の救援に駆けつけてくれたのです。
これはある意味、重大な軍規違反で、
下手したら軍事裁判ものかと思いますが、
ロナルド・レーガンの艦長は敢えて断行してくれました。
そして電撃的に『トモダチ作戦』を敢行してくれたのです。
その艦長の名は、海軍大佐トム・バーク。
そうです!
あのアーレイ・バーク大将のお孫さんだったのです!
このお話を初めて知った時、恩師は鳥肌がたったそうです。
「ああ、やっぱりアメリカ人にも
『恕し』や『報恩』の心を持った人もおるんやなぁ」と、
胸が熱くなったそうです。
またまた因みに・・・・。
トモダチ作戦の後、軍の機関誌に
「東北地方では、救援物資の配給の際、
被災者全員が静かに並び、略奪も殺し合いも一件もなかった。
(他国では被災者同士が先を争って救援物資を取り合う、
人の分まで横取りする、全部奪るために銃を撃ちながら
駆け寄って来る…なんてことが常態化しているそうです。
だから、救援物資を低空から地面に落とすのは、
狂乱状態の被災者から救援隊自体を守るため…だそうです)
ところが日本では、そんな争いは一切なく、
それどころか救援物資の荷下ろしや配給を、
被災者たちが手伝ってくれた。
どこの避難所に行っても、
「ここはこれだけで充分だから、他所の避難所に廻してください」と言われた。
被災者全員でお礼を言い、見送りまでしてくれた等々、
他国では見たこともない光景が、日本では広がった」と
書き記しているそうです。
たった一人の女性の「恕す心」は
時空を超えて日本の未来を救ったのです!
この素晴らしいお話を教えてくださった恩師に心から感謝です。
そして、わたくしもその尊い精神を受け継ぐ者の一人として
「恕す心」の大切さをたくさんの方々と共に世界に広げてまいりたい!と
決意を新たに致しました。
最後までご覧頂き、本当にありがとうございます。
シェア頂けたら嬉しいです。