平和を創る工場として設計された広島平和公園
おはようございます、ピンク社長です。
広島市の平和公園では原爆資料館への
入館が最長で2時間待ちになるなど入館者が急増しています。
外国人が約4割を占め、G7広島サミットの開催もきっかけとなっているようです。
子どもの頃から何度も訪ねている大好きな場所です。
広島平和公園を平和を創る工場として設計された
私の尊敬する丹下健三氏をご紹介致します。
広島平和記念資料館(本館)は、
平和記念都市広島のシンボルというだけでなく、
戦後日本の建築はここから記念碑的な作品です。
戦後の建物として初の国指定重要文化財になったのが、
広島の2作品(この資料館と世界平和記念聖堂)です。
公園とともに資料館を設計した丹下健三(たんげけんぞう・1913-2005)は、
東京五輪や大阪万博の施設設計を手がけるなど、戦後日本を代表する建築家です。
丹下健三氏は、広島への原爆投下の日に故郷愛媛・今治の空襲で母を亡くし、
広島と「大いなる因縁」を感じていたそうです。
丹下氏は平和記念公園のコンセプトを「平和を創る工場」と定められました。
以下丹下氏からのメッセージです。
平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。
平和は自然からも神からも与へられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである。
この広島の平和を記念するための施設も与えられ平和を観念的に記念するためのものではなく
平和を創り出すといふ建設的な意味をもつものでなければならない。
わたし達はこれについて、先づはじめに、いま、建設しようとする施設は、
平和を創り出すための工場でありたいと考へた。
✨✨
丹下氏は都市全体を見据えて、その空間的・精神的な中心をつくろうとしました。
まず資料館の建物は端に寄せて
中央に大きな広場を設け、かつての繁華街だった旧西国街道の道筋を残しました。
さらに平和大通りから原爆ドームに伸びる軸線を定め、軸線を塞がないよう
資料館の1階をピロティ(壁のない吹きさらし空間)としました。
この大きなピロティによって、
都市が巨大化した現代でもシンボル性を保つことに成功しています。
資料館の建物は機能を重視したモダニズムと呼ばれるスタイルで、
「平和を創る工場」にふさわしい普遍的なデザインが志向されています。
各所の造形にはル・コルビュジェ(モダニズムを提唱した世界的な建築家)の
強い影響を感じさせますが、ピロティを通して視対象である原爆ドームを見せるなど、
独自のアイディアも多く盛り込まれています。
破壊された都市の復元を基本とするヨーロッパの戦災復興とは違い、
広島の復興は整然としたモダン都市への再生であり、
モダン都市広島と資料館の建物は完璧といっていい調和を見せています。
都市と一体となって戦災復興を表現している
モダニズム建築は世界的にも唯一無二の存在です。
また、参列者が原爆ドームに向かって祈りを捧げる
平和記念式典のスタイルもこの建築と公園があってこそで、
デザインによって広島という都市のあり方にまで
影響を与えたところに、巨匠と呼ばれた丹下氏の凄みがあります。
資料館の建物はシンプルな箱に見えますが、
じっくり観察すると細部が徹底的に作り込まれていることに
気付き、俯瞰的に見ると都市との調和が考え抜かれていることに驚かされます。
そして、根底にある復興への思いやエネルギーに感銘を覚えます。
資料館見学の際には、ぜひ建築と公園のデザインにも注目してみてください。