私にとって原爆ドームが特別な存在になった理由

みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田多延子です。

昨日4月5日は
広島市の原爆ドームが建設されて、
ちょうど100年となりました。

老朽化が進む建物の保存を進めると同時に、
原爆の悲惨さを後世に
どう伝え続けていくかが課題となっています。

広島市の原爆ドームは、
100年前の大正4年4月5日
見本市などを開く
「広島県物産陳列館」として建設されました。

昭和20年8月6日に投下された原爆により、
建物はドーム部分の鉄骨の骨組みと
外壁の一部を残すだけとなり、
平成8年には世界遺産に登録され、
原爆被害を伝える象徴的な存在となっています。

「当時の黒いすすが今も残っていて、
被害の大きさを感じました。
このままの状態で残してほしい」
との声が多くありますが
原爆ドームは老朽化が目立ち、
建物の保存を進めると同時に、
原爆の悲惨さを後世にどう伝え続けていくかが
課題となっています。
広島市は原爆の悲惨さを訴え続けるため、
現在の形のまま保存する方法で
耐震補強工事を行う方向で検討を進めていています。、

わたくしの祖父
(キセキのヒロシマ 朝日に映えてに登場する
わたくしの母寛子の実父)が
セブ島で戦死した命日も4月5日です。
今年で70年たちます。

偶然ですが、不思議な縁を感じています。

原爆の悲惨さを後世伝えるために
負の遺産として世界遺産に登録された
原爆ドームですが、
いつの日か平和のシンボルとなる日を
願っています。

まるで、広島出身でイタリア
フェレンチェ在住の
画家道原さんの描かれる
ピンクの原爆ドームのように。

image


読者登録してね 
 

◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆

トランプハート戦後70年、女性が支えた復興トランプハート

ダイヤ戦後70年に、私が「キセキのヒロシマ朝日に映えて」を自費出版した理由薔薇
ダイヤ久しぶりのNHKラジオブース♪
ダイヤ平和学習資料として「キセキのヒロシマ」の寄贈活動開始致しました

◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆
キセキのヒロシマ
 << 送料全国一律 ★ 1冊113円/5冊まで165円 >>

通常価格:432円(税込)

「キセキのヒロシマ」の収益金は、
全て修学旅行生への寄贈活動に大切に役立てます

 

\

関連記事