幕末の志士高杉晋作を巡る旅

みなさま、こんにちは。

広島をこよなく愛する

ピンク社長こと多田たえこです。

下野にて、

高杉晋作のゆかりの地を巡り

明治維新の志師達の

に学ばせて頂きました

こちらは、山口出身の

総理大臣が必ず御参りされる東光寺。


国の重要文化財に指定され、

墓前には藩士が寄進した

500余基の石灯篭が立ち並んでいます。

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高杉 晋作は、

天保10年8月20日(1839年9月27日)-

慶應3年4月14日(1867年5月17日))は、

江戸時代後期の長州藩士です。
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10歳の頃に疱瘡を患う。

漢学塾を経て、

嘉永5年(1852年)に藩校の明倫館に入学。

安政4年(1857年)には

吉田松陰先生が主宰していた松下村塾に入り、


安政5年(1858年)には藩命で

江戸へ遊学、昌平坂学問所などで学ぶ。

万延元年(1860年)11月に帰郷、

防長一の美人と言われた

山口町奉行井上平右衛門(大組・500石)の

次女・まさと結婚し、

幕末に長州藩の

尊王攘夷の志士として活躍しました。

奇兵隊など諸隊を創設し、

長州藩を倒幕に方向付けました。

晋作自身は、肺結核のため

桜山で療養生活を余儀なくされ、

慶応3年4月14日(1867年5月17日)、

江戸幕府の終了を確信しながらも

大政奉還を見ずしてこの世を去りました(享年29)。

晋作が愛したしゃみせんは、

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萩の松陰神社宝物殿にて拝見出来ます。

吉田松陰先生と

松下村塾のすべてがわかる貴重な宝物殿です。

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おはぎが、大好きだった

晋作をイメージした晋作餅

焼いたお餅をシソの葉でくるんでおはぎに見せているそうです。

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木戸孝允・大村益次郎らによって、

現在の靖国神社に、

東京招魂社時代の始めから

吉田松陰先生・久坂玄瑞・坂本龍馬


中岡慎太郎たちと共に


表彰・鎮魂され、祀られていいます。

師である吉田松陰先生は、

高杉の非凡さを逸早く見抜き、

剣術ばかりであまり学業に本腰を入れない

高杉を奮起させるためあえて

同門で幼馴染でもある

優秀な久坂ばかりをべた褒めしたといいます。

高杉は悔しさをバネに自身の非凡さを発揮

久坂と肩を並べお互いを切磋琢磨しあうなど

とても優秀であったそうです。

「おもしろきこともなき世におもしろく」

日本を愛し、国を動かした高杉晋作。

わたくしも、命ある限り

社会に役立つ起業家を目指し

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