平和を願う「アンネのバラ」を戴きました
皆様、こんにちは。
ピンク社長®︎こと多田多延子(ただたえこ)です。
平和を願う日記をつづり、若年にして命を落とした
アンネフランクを偲ぶメモリアルローズを戴きました。
とても華やかな香り、そして最後に濃いピンク色に変化します。
「もしも神様の思い召しで生きることがゆるされるなら、
世の中の為、人類の為に働いてみせます」
アンネの日記より
以下アンネのバラの由来です。
『アンネの日記』を書いたアンネ・フランクは、
第2次世界大戦の終結前、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所に収容され、15歳で病死しました。
その14年後の1959年、スイス旅行中の
ベルギー人園芸家ヒッポリテ・デルフォルヘ氏は、
アンネ・フランクの父オットー・フランク氏に出会い、
アンネが自然をこよなく愛していたこと、特にバラの花が好きだったことを知りました。
以前から『アンネの日記』に感銘を受けていた
デルフォルヘ氏は、1955年に自ら作出したバラに、
1960年になって「Souvenir d’Anne Frank」と名付け、発表しました。
アンネのバラは「戦争のない、平和な世界に」と
いうアンネの願いとともに、日本全国に広まっています。
「アンネのバラ」は、蕾の時は赤、開花すると黄金色になり、時間の経過とともに
サーモンピンクに変色し、やがて更に濃いピンクに変色するという具合に、色が変わっていきます。
さまざまに色を変えるバラを「アンネのバラ」として選んだことには、意味があります。
アンネは豊かな才能を秘めたまま戦争と民族差別のために、若くして命を奪われました。
そんな彼女が生きていたなら、その才能を活かし、人生において幾つもの美しい花を咲かせたに違いありません。
多彩に変容する「アンネのバラ」には、多くの可能性を秘めたアンネを表現し、
平和を祈るというヒッポリテ・デルフォルへ氏の願いが込められています。