和製ナイチンゲール「新島 八重」の広島での活躍

みなさま、こんにちは。

広島をこよなく愛する

ピンク社長 こと多田たえこです。

テレビNHk大河ドラマ「八重の桜」でも

人気の

新島 八重(にいじま やえ、

弘化2年11月3日(1845年12月1日) –
昭和7年(1932年)6月14日)は、

和製ナイチンゲール

同志社創立者新島襄の妻としても有名です。

元祖ハンサムウーマンと呼ばれるほど

明治の時代にあってエネルギッシュに生きた女性です。

日清戦争の際に、

広島城(広島市中区)には戦争を指揮する大本営が置かれ、

広島は、半年日本首都となりました。

戦場で傷ついた兵士は、


広島城の西側にあった


陸軍予備病院に運ばれた際に、

八重はそこで4カ月間、

看護婦40人を率いて大活躍しました。

その時の活躍が認められ、

皇族以外の女性として

はじめて政府より叙勲の栄誉に浴した方です。


「新島八重」著者キラキラ


久野潤先生 とごいっしょに

広島の護国神社へお詣りさせていただきました。

広島をこよなく愛するピンク社長 多田たえこ-image

新島八重 ~とある会津女子の生涯~ (晋遊舎新書 S09)/晋遊舎

和製ナイチンゲール

「新島 八重」広島での活躍も

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