ピカソの想いを受け継ぐキッズゲルニカ
おはようございます、ピンク社長です。
先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の開催地・広島市の「ひろしま美術館」で、
虐殺が起きた同国の首都キーウ近郊ブチャの子どもたちが平和への祈りを込めて描いた
「キッズゲルニカ」が展示されています。
「ゲルニカ」は、平和を愛する一人の画家として
世界に戦争の悲惨さと愚かさを訴えたいとの思いからピカソにより描かれました。
キッズゲルニカは平和を題材に、
子どもがピカソの反戦絵画「ゲルニカ」と同じ縦3.5メートル、横7.8メートルの
キャンバスに描く国際プロジェクトです。
これまでに各国で300点以上が制作されました。
実行委はG7サミットに合わせ、ブチャにある芸術学校に制作を依頼。
小中学生数十人が参加し、4月下旬に完成。
ウクライナ国旗の水色や黄色を基調としたには、笑顔の子どもの姿がある一方、
ミサイルを虫取り網ですくう天使や、戦闘機が描かれています。
作品はブチャのほか、被爆地である広島県の美術教室「アトリエぱお」や「のぞみ幼稚園」、
長崎県の高校などが携わった計5点で、美術館の外壁に掲げられています。
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ゲルニカは、スペイン・バスク自治州の
ビスカヤ地方に拠点を置くにある街の名前です。
プラド美術館の名誉館長に就任していたピカソに1937年1月、スペイン共和国は
パリ万国博覧会の会場を飾る作品のキュレーションを委任し、「ゲルニカ」が完成。
「バスクの古都でありバスク文化の中心である
ゲルニカは、反乱軍の襲撃によって完全に破壊された。
前線の背後にあったこの開かれた町への爆撃は
3時間ほど行われ、3種類のドイツの爆撃機が
飛来し、1000ポンドの爆弾を町に落とした。
爆撃当日、地元の市場は営業しており、町の住民は繁華街に集まっていた。
砲撃の中、橋が破壊され、逃げ場がなくなり、死者も相当数出たという。
ピカソの作品「ゲルニカ」は、当時ゲルニカに住んでいた人々を忠実に映し出しています。
女性と子どもへの暴力行為は、ピカソの視点から見ると、
人類の核心へ向けられています。
電球は太陽を表しており、作品下部の中央にある砕かれた剣は、人類の滅亡を表しています。
第二次世界大戦時のナチ占領下にあったパリにピカソが住んでいたとき、
あるドイツ役人がピカソのアパートで「ゲルニカ」作品の写真を見て、
「これはお前が描いたのか?」と質問されたとき、ピカソは
「ちがう、お前たちがやった(空爆)」と答えたそうです。
平和を願うピカソの想いを子ども達が引き継いでいます。