わたくしの礎となった「松下幸之助」の名言

みなさま、こんにちは。

ピンク社長こと多田たえこです。

10歳の時に、交通事故にて

脳内出血となり医師より、

「生存確率数%、運良く助かっても
半身不随か寝たきりを覚悟してください」

と宣告されました。

名医の執刀の元、二週間で退院を許されました。

その時、死生観が変わり

「社会に役立つ起業家」を志しました。

10歳のわたくしがまず始めたことは、
小学校の図書館で偉人の本を読み漁る事でした。

その時、書き留めた名言がいまでも

わたくしの心の礎となりました。

ひらめき電球松下幸之助さんは、

お父様が米相場で失敗された後小学校を中退し

9歳で丁稚奉公に出られました。

くじけることなく、多くの経験を糧として

商売人としての心得を学ばれました。

明治43年、開通した大阪の市電が「電気で走る」のをみて、

電気事業の将来性を感じとり「電気の世界」へ第一歩を踏み出します

大正6年、手元資金わずか95円で独立。

生活していた狭い借家に工場スペースをつくり、

妻と妻の実弟などと改良ソケットづくりをはじめました。

厳しい試練をのりこえ、大正7年、本格的に

電気器具製造・販売に着手するため「松下電気器具製作所」を創業。

ご存知の通り、松下幸之助さんは

「経営の神様」として国内外でその功績が語りつがれています。
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ベル自分の金、自分の仕事、自分の財産。
 自分のものと言えば自分のものだけれど、
 これもやっぱり世の中から授かったもの。
 世の中からの預かり物である。

ベル 失敗の多くは、成功するまでに
 あきらめてしまうところに、
 原因があるように思われる。
 最後の最後まで、
 あきらめてはいけないのである。

ベル 石の上にも三年という。
 しかし、三年を一年で習得する努力を
 怠ってはならない。

ベルよく人の意見を聞く、
  これは経営者の第一条件です。
  私は学問のある他人が全部、
  私より良く見え、
  どんな話でも素直に耳を傾け、
  自分自身に吸収しようと努めました。

 ベル何としても二階に上がりたい、
  どうしても二階に上がろう。
  この熱意がハシゴを思いつかせ、
  階段を作りあげる。
  上がっても上がらなくてもと
  考えている人の頭からは、
  ハシゴは生まれない。
 


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