【偉人に学ぶ】なぜ、雪舟は日本を代表する歴史人物の一人となれたのか?
みなさま、こんにちは。
ピンク社長こと多田多延子です。
毛利美術館の秘宝、国宝でもある
雪舟の「山水長巻」を
ひろしま美術館で拝見致しました。
美術館巡りは、子供の時からの
わたくしの大切な趣味の一つです。
絵画の鑑賞だけでなく、作者の育った背景、
思想や人物像を学ぶ事で作品をより深く
理解できるので人物考察を先にしてから
展覧会にて作品を拝見するようにしています。
特に、その時代における「真髄」となられた方は、
どのようにして歴史上の人物になったのか
という観点で学んでいます。
「雪舟」は、名前は聞いたことはある
という方は多いと思います。
わたくしも、ダイナミックな作風が好きです。
そして、現代の立体映像にも通ずる
構図のうまさに目を見張ります。
「山口・萩」から全国に名をとどろかせた
雪舟のブランド戦略をご紹介致します。
雪舟は、室町時代に活動した水墨画家・禅僧です。
備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、
京都では評価されず、
大内氏の庇護のもと周防(今の山口、萩)に移ります。
最初のターニングポイント
雪舟は、自らが最も評価される場所に移ります。
当時、京都から萩に移ることは都落ちの様に
評された事と存じます。
しかし、「評価される場所」へと自ら居を移します。
もし、そのまま京都に残っていたら
きっと今の成功はなかったことでしょう。
第二のターニングポイント
遣明船に同乗して中国(明)に渡り、
李在より中国の画法を学びます。
当時、大内氏は明との貿易を盛んに行っていました。
もし、山口に移っていなければ「明」で
中国の画法を学ぶチャンスはなかったでしょう。
第三のターニングポイント
宋・元の古典や明代の浙派の画風を吸収しつつ、
各地を旅して写生に努め、中国画の直模から脱した
日本独自の水墨画風を確立し、
後の日本画壇へ大きな影響を与えます。
弟子に送った「破墨山水図」にある文面に、
「明の画壇に見るべきものはなく、
日本の詩集文や叙説を再認識した」と書かれている様に、
明の時代の画家よりも夏珪や
李唐等の宋・元時代の画家に
興味を持ち、模写して勉強したようです。
中国で画法を学びながらも、
日本独特の水墨画風を
確立したことが雪舟の凄いところです。
山水長巻は、67歳の作品と言われていますが
今でもその迫力に圧倒されます。
現存する作品のうち6点が国宝に指定されており、
日本の絵画史において別格の高い評価を受けています。
第四のターニングポイント
江戸時代から雪舟の神格化が始まります。
当時画壇を支配していた狩野派が、雪舟を師と仰ぎ、
ゆえに諸大名が雪舟の作品を求めたそうです。
もし、「萩」から「京都」へ発信していなければ
狩野派が雪舟を知ることはなかったことでしょう。
自らをブランディングし、その発信力こそ
雪舟がこんなにも評価される一因だと思います。
そして、日本文化の一つを生んだ雪舟は、
今や日本を代表する歴史人物の一人なったのです。
そんな、雪舟の人生を振り返りながらの
「山水長巻」は、とても見ごたえのある作品でございました。
広島県吉田町にございます毛利博物館で
大切に所蔵されています貴重な作品です。
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